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インターネットが医療を変える 第9回

ITが医療業界を変革する

具体的は証拠が表面化

 鈴木吉彦 ソニーコミュニケーションネットワーク㈱General Manager 医学博士

雑誌名:Medical ASAHI  2001年2月   朝日新聞社  

35ページから37ページまで コピーライト、©鈴木吉彦

●ネット利用で最大の効果をあげているのは、医療分野における「患者教育」

 私の専門は糖尿病である。この10年間に急激に患者人口が増えたことで、何百万人という糖尿病患者を、数千人という糖尿病専門医が指導し、治療しなくてはいけない状況になった。そうしたなかで、私は「患者教育」というテーマに関心を持った。

「患者教育」とは、一般には治療に役立つ情報を患者に教えることである。しかし糖尿病の領域では、患者を治療する非専門医やパラメディカルスタッフに最新治療を教えることも、「患者教育」の概念で括られる。患者人口当たりの専門医が少ないから、医師以外の職種の人たちにも援助してもらい、力を借りながら、患者を教育する。また、書籍、雑誌、ビデオ、映画などの各種媒体を活用し、最新知識を医療業界に広く伝達していく仕事も重要となる。私は書籍を40冊以上出版しているが、それらは「患者教育」のための道具と考えている。

 また、患者を教育するときは、患者とともに考える姿勢が大事である。だから、昔は糖尿病の小児キャンプに参加し、糖尿病の子どもたちとともに生活し、子どもたちのための教科書を作成した。巨人軍のガリクソン投手の糖尿病自叙伝『ナイスコントロール』(医歯薬出版)を執筆し、印税を糖尿病協会に寄付するなどの活動を行ってきた。

 実は私がインターネットに関心を持ったのも、こうした「患者教育」を長年、経験してきたからである。その経験を新しい情報媒体であるインターネットで行うと、どのような形が構築できるのか、それを実践してみたかったのである。その結果、So-netには、非常に多くの患者たちに正しい医学情報を伝えるホームページが構築できた。「元気でVivre」(http://www.so-net.ne.jp/vivre/)

というホームページは、各一般雑誌でたびたびお勧めサイトとして紹介されている。創新社が運営する糖尿病ネットワーク(http://www.so-net.ne.jp/vivre/soshin/)というホームページでは、糖尿病の患者同士が、日々、多くの情報交換をし、互いに励ましあっている。病気の苦しみを、同じ苦しみを持つ人と共有化することで、人の心は慰められる。情報が不足している患者に、インターネットは役立つ情報を大量に提供することができ、希望を与えることができる。だから、私が今のSo-netで行っている、インターネットを媒介にして医療情報の提供を行っていく仕事は、医師の仕事としても大事な仕事であり、本来は、もっと多くの医師が行う仕事であろうと考えている。

 米調査機関ピュー研究センターが2000年11月26日、発表した内容によると、米国内の18歳以上の約1万2000人を対象に、インターネットの利用実態を調べた結果、ネット利用者の55%(米国全体では約5200万人に相当)が医療情報を調べるのに使ったことがあると回答したという。オンラインショッピング(47%)、株価チェック(44%)、スポーツ結果の閲覧(36%)など他の利用目的に比べても、医療情報を患者が求めているニーズのほうが多かった。さらに、医療情報を閲覧した人の41%は、医師にかかるかどうかや治療法の選択に役立てたと答えており、インターネットの情報が患者の行動に影響を及ぼしていることも明らかになった。日本でも、米国でも、医療とインターネットとは切り離せない関係になろうとしている。

●指尖外採血による血糖測定の意義が、インターネットによって世界に広まった

 1990年、私が日本の小児糖尿病キャンプに参加しているとき、ある1型糖尿病の子どもから、血糖測定のための、指尖に針を刺し血液を採取する指尖採血は、インスリン注射の針の100倍痛い、という悲痛な声を聞いた。しかし、それを主治医にいうと、自己血糖測定を行いたくない言い訳だと思われるので、本音を訴えることができないという。その話を聞いた私は、それまで患者の本音の声を聞くことができなかった糖尿病の一専門医として、恥ずかしい思いがした。そこで、糖尿病の子どもたちの声を広く世界に知らしめるために、指尖以外で採血をする血糖測定法が実現可能であるという仮説を立て、1992年に雑誌『Lancet』に投稿し、幸運にもそれが掲載された(Suzuki Y,et al.Painless blood sampling for self blood glucose measurement.Lancet 339:816-817,1992)。しかし残念ながら、それは当時の日本の社会には受け入れられなかった。

 ところが、1997年に大阪のニプロ社が、指尖以外の部位で採血でき、かつ血液を吸引することができる採血用具、「マイクロレットチョイス」を完成させた。米国のバイエル社がその販売権を獲得し、発売を始めた。バイエル社も最初は、指尖採血用具に代わる、一つの補助装置として発売し、あまり積極的には販売せず、展示場でも主力商品としての強調はみられなかった。

 ところが驚いたことに、米国の糖尿病患者たちがインターネットの掲示板やチャットにおいて、指尖外での採血の体験について情報交換を始めた。そして、指尖外採血は、ほぼ無痛に近いこと、かつ、指尖から得られる血液で測る血糖値と、指尖以外の部位、例えば腹壁や腕の皮膚表面に針を刺し、そこから吸引をして得られる血液から測る血糖値とには、臨床的に問題が起こるような差がないこともわかり、それを誰もが知ることになった。この情報をインターネットで得た多くの糖尿病患者は、自分でそれを体験し、その体験をインターネットで、さらに他の患者に教える。つまり、ネットにおける口コミが自然発生的に起こり、その情報が急激な速度で拡がっていった。そして、1年もかからない間に、指尖外採血はほぼ無痛であり、治療上役立つ方法であることが、米国の糖尿病患者では常識となっていった。

 この噂を聞いた血糖測定器メーカーは、これを大きなビジネスチャンスと捉えた。1997年頃から、いっせいに指尖外採血で測定できる簡易血糖測定器の開発が始まり、2000年の米国糖尿病学会や国際糖尿病学会では、指尖外採血をうたった簡易血糖測定器が、各社が競うようにして発表された。At Last,Fast Take,Free Styleといった装置の指尖外採血を勧めるパンフレットや広告が、他の旧来型機種の広告を圧倒していた。雑誌『Lancet』に発表してから約8年の歳月を経て、ようやくこの仮説が糖尿病の治療の現場で、現実的な理論として受け止められるようになった。日本では米国の流れをみて2000年夏から急激な勢いで、指尖外採血を中心とした血糖測定メーカーの活動が活発化している。

●患者の声が新しい治療を決める時代になる

 上記の例は、私が1992年に提案した仮説が実現化されたというエピソードを語っているが、実はこの経験は、インターネットの重要性を医療業界に知らしめる重要な証拠になるのではないか、と考えた。つまり、最初に指尖外採血は無痛であることを医師が発表しても、また、その後それが製品化され大手メーカーが発売しても、その検査法は広まらなかった。しかし、インターネットの出現によって、患者同士が口コミという手段を持って、この概念を世界中に拡大させた。つまり医師もメーカーもできなかったことが、実は、患者の手によって、インターネットという手段を用いて、新しい検査法として実現化が勧められ、同時にそれが世界中に認知され拡がっていった。このように、インターネットは、ある治療法や検査法が、よいか悪いかを患者が判断し、それを社会に公表するための機会を患者側に与えたのである。

 昔、『白い巨塔』という映画で描かれていたように、医療業界には地位の高い医師がこういったからよい治療だとか、大手メーカーや頻繁に訪問してくれるMRが宣伝しているからよい治療だとかいう社会構造が業界の常識を作っていた。しかし、インターネットの出現によって、そのシステムは形骸化し始めている。患者側がよい治療であるか悪い治療であるかを判断し、インターネットを使って情報交換を行い、医師もメーカーも不在のネット空間で、その治療にあるいは製品に対する評価を下すことが可能になっている。つまり、新しい治療法の評価は、医師でもメーカーでもなく、患者が決める時代になってきたのである。

 これによって医療業界には、これまで誰もが経験したことのなかった非常に大きな変革が起こるだろう。インターネット上で患者によい治療である、よい医療機器であるという評価をもらえば、その治療法は高く評価され、あるいは、医療機器はひとりでに売れるようになる。逆に、悪い治療法である、使いづらい機器である、患者に苦痛を与える装置である、という評価を受けると、いくらメーカーが莫大な広告費を費やし宣伝したとしても、受け入れられないし、製品も売れない。

●医療相談のホームページは、必ずしも正しい医療の在り方に貢献しない

 インターネットを通じ患者に多くの知識を与えることができることは素晴らしいのだが、治療法の選択権あるいは薬品の処方権についても、患者側の発言権が強まる世界になることは、本当によいことなのだろうか。これは、ケースバイケースだといえるだろう。例えばAIDSの患者さん同士は、インターネットを使って、新薬の情報をすべて公開することを求めている。生死にかかわる病気を持つ患者さんであれば、当然の権利だと思える。また、上記の患者の自己血糖測定における採血方法のように、除痛を目的とした検査法に患者の意見が反映されるのは、よいことだと思う。

 しかし、患者が判断できないようなケースの場合はどうだろう。あるいは、病状によって医師の医療方針が刻一刻と変わるべき病気の場合はどうだろうか。そうした場合は、患者の意見が直接医療現場において反映され、患者の発言力が強くなることがよいかどうかは問題である。また、最近日本において医療訴訟が増えた現象も、インターネット上に医師の実名をあげて、医療ミスを告訴する患者が増えたためではないか、と分析する医師もいる。米国ではそれをビジネスチャンスと考えて、インターネット上で訴訟ケースを探している弁護士も存在するという話を聞いた。

 現実のインターネットの世界では、発言者責任が明確でないから、実際には誤った医療情報がたくさん掲載されている。宣伝もあり、なりすましもある。誇大広告もあふれている。また、米国では一般向けの医療相談ホームページから得た情報をもって、臨床現場の医師の治療に疑問をぶつける患者も増えてきているという。医師にとんでもない質問をぶつける患者ばかりが増えれば、まじめに診療をしている医師にとっては大変な迷惑である。

 米国では宣伝目的のために、「治りにくい病気も、自分であれば治すことができる」という意味合いを含んだ情報を流す医療関係者もいるという。また、そういう医療関係者を支援し、アクセス数だけを伸ばしているホームページもあるようである。そういうホームページが、本当に、医療に貢献しているとは、私には思えない。米国の医師会や、まじめな多くの医師たちは、そうしたホームページを、避難するようになっている。

 発言者責任が明確でないネット社会においては、自分勝手に発言した人が得をして、発言され批判された人だけが損をする、という状況だけを構築するシステムは、許されてはいけないと思う。そういう世界になったら、まじめな医師でさえもリスクのある医療行為を避けて通ることばかりを考えて、真剣な治療が行えなくなってしまう。

●インターネットの功罪をどう判断するかは、みんなの問題

 このように、医療の現場において、インターネットが実際に影響を及ぼしていることの具体的な実例がでてきつつある。それによって、医師と患者との立場が、逆転する現象も生まれつつある。患者の声が直接反映され、それが新しい治療法を生み出すよい例もある。しかし半面、発言者責任がわからない誤情報や宣伝目的の情報ばかりがあふれ、それが医療現場の治療行為を妨害するという悪い例もある。このように、インターネットが急激に拡がっていく現代において、こうした問題をひとつずつ、どう整理していくべきかは、日本の医療に携わる人たちが、みんなで考えるべき時代になってきたのではないだろうか。

雑誌名:Medical ASAHI  2001年2月   朝日新聞社  

35ページから37ページまで コピーライト、©鈴木吉彦

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