米国のITバブル崩壊から日本が学ぶべきこと
鈴木吉彦 ソニーコミュニケーションネットワーク㈱General Manager 医学博士
雑誌名:Medical ASAHI 2001年1月 朝日新聞社
57ページから59ページまで コピーライト、©鈴木吉彦
「米国では、ネット企業の倒産が相次ぎ、今年で130社、解雇者8000人か」、という記事が報告された(日本経済新聞、2000年11月20にち付)。
結局、ITとかインターネットという新しい時代のキーワードを利用し、夢を熱っぽく語ったものの中味は空っぽ。実績はゼロに近い企業が多かったのが実状であった。誰もが金鉱を掘り当てられたわけではなかった。図1は『THE INDUSTRY STANDARD』という米国の雑誌の2000年11月6日発売号の表紙だが、「THE DOT-COM GAME」というタイトルがあり、多くの企業は的の中心に矢を当てられず、失敗した、というイメ-ジを示していた。
筆者は医師だが、Mediproを運営していることから、最近、米国を訪問する度に、ITバブルに振り回された人たちの話を聞く機会が増えた。医療の世界でも大きな被害が出ているようである。そのため今回だけは医師という立場を離れ、そうしたITバブル崩壊の裏側を分析し、日本が学ぶべき材料として、読者の皆さんに報告するべきではないかと考えた。また、本稿の主旨はITの価値を否定するものではない。実態の伴ったITを作る作業は、着実に成功し、成果を出している。しかし一方で、多くの「見せかけのIT企業」が淘汰されつつあることを報告するものである。
●失敗するIT企業の共通点
当然のことだが、各業界の表面しか垣間見たことがなく、業界の奥深さを知らない人間が始めた企業の場合に失敗例が多い。投資家に対する言葉使いは非情に巧みだが、現場での経験もなく、下積みの経験もない。だから、業界を安易なものと考え、かつ、ITを気安く考え、ビジネスを始めるが、実務段階に入り、実は能力がないことがわかるのである。
米国では、こうした企業が失敗に至る経緯は似ている。ITは明確なビジョンがないと、大きな利益を生まないから、赤字経営になりやすい。経営者は社会の目や投資家の目をほかにそらし、さらなる増資を受けるためだけにM&A(合併や吸収)を繰り返す。あるいは会社名や組織を変更する。ナスダックに上場する、ということを投資家に信じ込ませるため、故意に新しい会社組織を作る。実現性の乏しい事業に、e-という頭文字をつけて、あるいはcommerceのc-という頭文字を付けて、あたかもIT分野のフロンティアであるかのような企業イメージだけを社会の強くアピールする。
その実情を暴露されそうになると、社員をリストラする。創業者クラスの幹部を放出する企業もある。あるいは、報道機関に暴露されることを恐れ、積極的に新聞記者を抱え込み、自ら新聞発表を繰り返す。そうして投資家の目をくらませる。また、企業規模とは似合わない誇大広告をする。知名度だけを高めようとする。「わが社のの知名度が高まった」と強調しようとする。しかし、その広告費が、さらに企業業績を悪化させる。
また、優秀な人材が少ないので、過剰な人数の社員を雇用する。利益を上げていないのに、人を雇う。経営者は実は、インターネットの基本的な知識も知らないことが多い。そのため、能力のいかんに問わず、どんどん雇用し、社員数を増やす。粗利益が数千万円未満でも100人以上の社員を雇用するという、従来型の会社経営では考えらえない企業が生まれてしまう。そして、非能率的なビジネスばかりを展開する。さらに、何なにバレーと呼ばれるIT企業のステータスとされる土地を選び、会社を作る。つまり、体裁だけは整える。これは、アメリカだけではなく、日本でもそういう企業が、ITバブルを利用して、1999年後半には、たくさん生まれたのである。
しかし実際には、そうしたIT企業はどんなインターネットビジネスを展開していっても、業界に対し変革を訴えるだけの思想もないし、哲学がない。インターネットに対する専門知識も乏しく、業界に対する理解も浅い。そのためにe-事業を拡大すればするほど失敗が増える。人件費がかさばり、赤字が増える。こうして悪循環となり、資金を使いつくしたところで倒産となる。米国ではさまざまな分野で、IT企業と称する企業がじょうきのような経過を経て淘汰されている。
●ビジネスモデルの失敗に気がついたら、大量のリストラへ
失敗の最初の兆候となるのがリストラである。インターネット関連企業の経営がはたんを来すと、社員の一斉解雇という事態を生む。昨年までは業界の最大手になるだろうと目されていたネット企業が約700~1000人もの社員を解雇した、という報道がなされることもある。経営者は退任し、その後の経営責任から逃れようとする。
日本でも土地バブルのときに、不動産価格は右肩上がりに上がると多くの人が信じ、多額の投資をしたが、バブルが崩壊し経営は破綻し、経営者は逃避した。土地バブル崩壊後の状況と、現在、米国で起こっているITバブル崩壊後の状況とには、共通するものがある。結局は、ITバブルでも、M&Aで買収された企業の経営者だけがもうかった。逆に、買収した側の企業や、出資で金集めをした企業のほうが、今は経営困難になり、大量の
リストラをし、倒産の危機に瀕している。
●本来ITは効率を上げるはずのシステム。多数の社員は矛盾
ITベンチャー企業から解雇された労働者は、不当解雇であるとして、経営者を訴え裁判を起こす事態が増えるだろう。もともとインターネットを中心としたITは効率を上げる道具である。つまり、1人が100人の仕事ができるための道具であるのに、100人以上の社員を雇用し、10人分の仕事しかできないようにし、90人を解雇したのであれば、それは、経営者の責任であるのは疑いがない。不当解雇となれば、その経営者は多額の賠償金を支払うこととなり、それがさらに経営を圧迫する。
また、社員のなかには不当解雇により、内部のe-事業の失敗を暴露するものが増える。それが、社会に漏れていく事により、その企業の信頼は失くし、自然崩壊していくだろう。
●日本でも同じようなことが医療業界で起こったら?
また、医療関連IT企業に多額の出資をした出資家のなかには、「身体に障害がある患者さんのために」、という思いで、善意の目的で、出資した企業や個人投資家もいる。しかし、社会のためにと出資したお金は、豪華なビルやオフィスの管理代になったり、引っ越し代になったり、海の上でヨットのガソリン代となって、太平洋や大西洋の海の中に消えていくのである。
日本でも、介護制度やインターネットなどの新しい媒体やビジネスチャンスの登場によって、大きな社会の変革が起きようとしている。そういう時期には、必ず「実は医療には興味がないけれど、もうかりそうだからビジネスを始めた」という野心家経営者たちが、群がる。患者を救うためではなく、「ビジネスのために医者になった」という人間が出てくる。あるいは、一部の野心家たちは、「金のある医者は金木、金のない医者は枯れ木」という主旨の、裏で動く業界言葉の引用を、公然と行い、多くの医療関係者の前で公言している。つまり、「医者は金を持っている」ということしか考えてない経営者が群がるのである。私は、そういう目的のために医療業界を食い物にする人たちの倫理観が理解できない。
しかし、こうしたITベンチャーの野心家経営者たちは、今後は社会的に責任追及を受ける時代になるだろう。企業経営が赤字だったり、e-事業の失敗が明るみに出されていくだろう。解雇された労働者は、不当解雇であるとして、彼ら経営者を訴え裁判を起こすだろう。投資家もITバブル時に起こったDream Speaker企業への新規投資はやめ、新規投資案件発掘を始めている。そして結果として、知名度が高まったところで、実は経営の裏側は赤字続きで行き詰っていた、そして倒産、となるだろう。米国ではそうした記事が、日常茶飯事になっている。だから今後は内部業績を発表しようとはせず、明確な哲学もなく、知名度だけを高めようとしているIT関連企業は、「社会的に危険な企業」と考えるべきである。
●車を買う金があるなら、心電計を買え
国境なき医師団の医師たちがもらっている報酬(年俸)というのは、きわめて少ないという話を聞いたことがある。しかし彼らは、本当の医師の善意と良心で、社会に貢献している、現代の「赤ひげ先生」だと、私は思う。だからこそ、社会から尊敬を得ることになり、ノーベル賞の授与となった。医療業界はこうした多くの人たちの善意や良心、倫理観に支えられて成立している業界だと、私も、そして大多数の善意ある社会人の皆さんもそう信じて
いる。だから、ITという名のもとに、バブルが起こされ、それにより多くの人達の善意が、野心家経営者らによって無駄なものにさせられ、金もうけ中心主義に塗り替えられ、多くの人間の人生が狂わされていることは、私はひとりの医師としての立場として、黙ってみていられない。
私は慶応義塾大学医学部での在学時代に、元日本医師会会長である武美太郎先生の口座を受けた。武美先生は、「医者は患者のために勉強するものだ。金のことを考えるより、患者を治すための勉強をしろ。車を買う金があるなら心電計を買え」とおっしゃっていた。あれから20年たって、私はあの当時、武美太郎先生がいわんとしていた言葉の真意が理解できるようになったというように、つまり、日本の医療は善意ある人たちの協力と、医療をまじめに、真剣に考える人たちの努力で支えていくべきなのである。
また、Medipro(http://www.so-net.ne.jp/medipro/)を運営していて、よく感じることは、インターネットというのは、ただの道具のひとつである、ということである。しかし、その道具を、どのような目的に利用し社会に貢献しようとしているか、それがITバブルが終了したことで、明確に運営者の責任として追及されるようになったのだと思う。MediproはITバブル時代の恩恵も受けなかったが、そのぶん、バブル崩壊後の影響も受けないことは幸いだと思っている。その意味では、Mediproのスタッフには、「今後も初心を忘れないこと」「医学に貢献するためにMediproがあることを忘れないように」と教えている。
雑誌名:Medical ASAHI 2001年1月 朝日新聞社
57ページから59ページまで コピーライト、©鈴木吉彦