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臨床とインターネットの接点⑰

Medical Tribune 2002年8月22日 38ページ ©︎鈴木吉彦 医学博士




グローバル・コラボレーション・インターネットを通じて知的労働を海外に発注

米国人医師の音声をネパール人が入力

 電子カルテが普及し,デジタル入力が当たり前の社会になると,カルテや処方せんなどの記載を医師が1つ1つ手で行うことは大変な作業になります。医師の人件費や職種としての役割を考えると,ややもったいないといえます。

 米国では,音声入力システムが発達し,医師は診断情報などを音声で記録し,秘書や看護師などの医師以外のスタッフがそれを電子カルテなどの入力するシステムが普及しています。しかし,音声情報を他の米国人がキーボード入力をするのであれば,それでもコストがかかります。最近ではそうしたコストがかさむ知的労働の一部をインターネットを利用して海外に発注し,コスト削減に利用しようとする動きが生れています。

 具体的には,これまでは医師が診断記録などを紙やカセットテープなどのアナログ媒体に保管していましたが,デジタル用ボイスレコーダーなどの記録装置を使って,医師の音声をデジタル情報として記録し,保存するようになっています。(図)つまり,電子カルテに入力するための最初の入力段階から,デジタル技術を駆使する準備をしておくわけで,そのデータはボイスレコーダーからパソコンに転送し保存することが可能です。

 次に,インターネットを通じ,特定のサーバにFTP(file transfer protocol)という作業でデータをアップロードし,遠隔的に保管します。その音声データを文字情報として返還するのは,人件費の安い国に委託します。例えば,ネパールの専門会社と契約し,録音された医師の音声情報を現地の担当者がアクセスし,気密性を確保しながらダウンロードします。担当者は,ダウンロードした音声ファイルを開き,米国人の医師が音声入力した医療記録を文字に起こし,テキスト情報として入力するわけです。その作業によって,音声データはテキストデータとして変換されます。それが終わると,担当者は,そのファイルを特定の医師がアクセスできるサーバにアップロードします。次に,依頼主の米国人医師は,そのファイルをサーバにからダウンロードし,電子カルテの中に取り込みます。つまり,この流れを作業システムとして確立しておけば,医師は診断や判断内容を音声情報として記録しておくだけで,テキストデータとしての保管が容易になります。

コスト削減とスピードアップが可能に

 こうしたインターネットを活用したグローバルなコラボレーションが可能になることによって,米国側には2つのメリットが生まれます。1つは,音声情報をテキスト情報として変換する作業を人件費の安い国に委託することによって,コスト削減が可能になるということです。人件費の格差が,そのままコスト削減につながるはずです。

 2つ目のメリットは,米国と地球の裏側の国との時差を利用することのメリットです。米国で日中に医師が録音したデータをそのまま秘書が入力する場合,どうしてもタイムラグが生じてしまいます。通常,夕方に医師が音声入力した情報は,翌日に電子カルテに入力することになってしまうでしょう。ところが,「米国における夜中」の時間帯は「ネパールでは日中」になりますから,米国で日中に医師が入力したデータは,その日のうちにサーバにアップロードしておけば,変換作業は「米国の夜中」の時間帯に完了します。それによって,翌日の「米国の朝」には変換された情報が電子カルテのなかに取り込まれており,24時間を有効活用できるわけです。つまり,音声情報がテキスト情報へ変換されるまでの時間がスピードアップするというメリットも出てきます。

賃金格差を利用

 また,このコラボレーションはネパール側にも大きなメリットがあります。この仕事をネパール人が引き受けるには,英語力,それも医療に精通して翻訳ができることが必要です。会社は優秀な若者に対して,英語と医学用語の知識と研修を有料で行い,そのなかで合格した人に,この仕事を与えるようにします。ネパール政府も,このような米国と共同で行うプロジェクトについては,それらの若者に対して無利子の資金貸付を用意しているそうです。つまり,ネパールでは,このような労働はエリートの仕事になっていて,米国とネパールとの賃金格差を考えれば,ネパールでは賃金が高い仕事になります。

 1998年から2000年にかけて,私は米国をたびたび訪問しましたが,当時はこのような「英語圏ならではのビジネスモデル」を活用したベンチャービジネスがたくさん生まれていました。例えば,医療関係の出版社などでは,医学書籍のデータベース管理はインド人が入力しているという話を聞きました。また,医療用語などの辞書や辞典をつくるためのスペルチェック作業なども,原稿をインターネットを通じてインドに送り,現地では3人の従業員がタイプし,内容は自動的にコンピュータで比較しチェック度を高めるという興味深いシステムを構築している企業もありました。これも,米国人1人よりも,インド人が3人でスペルチェックする人件費のほうが安いという利点を生かしたビジネスモデルです。

日本でも起こりうる

 日本では,経済状況が悪化したため工業技術が中国などに輸出され,工場が中国につくられることによって日本での工場が不要となり,失業者が増え,さらに経済状況が悪化するという悪循環に陥っています。人件費が安い地域に産業が移動することは,社会のグローバル化によって避けられない現象のようです。そして,その現象はインターネットによって加速され,知的産業の分野でも同様の現象が起こり始め,上記の例でもわかるように,医療分野においても認められる現象になってきています。

 日本の場合,「日本語を入力する」という会社が地球の裏側の国にできることは難しいとは思いますが,ネパールの例をみてもわかるように,日本とコラボレーションすることが,その国の発展につながれば政府が推進を援助することもありますから,一概に「英語圏だからありえて日本語圏ではありえない」ことだとも言えません。

 また今後,医師会なども積極的にネットワークを構築し、IT化を促進することが報じられています。入院対応,電子カルテ,介護保険,薬剤併用禁忌データベースなど,さまざまな医療分野におけるIT化が推進されるはずですが,その最初のステップとなる医療情報をデジタル情報としてキーボード入力する人件費の問題は,IT化とともにますます大きくなるばかりです。

 さらに,医療費コストの削減が国の課題となって,さまざまな政策の転換期を迎えています。そうした医療経済が厳しくなっていく社会潮流のなかで,医療費を抑える知恵として,「知的労働の一部をインターネットを通じて海外に発注する」という方策は,日本でも一概に荒唐無稽とは言えないかもしれません。

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