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臨床とインターネットの接点①

Medical Tribune 2001年4月26日 31ページ ©︎鈴木吉彦 医学博士 

患者教育におけるインターネットの重要性 双方向性の情報伝達が可能に

旧来の情報伝達路は一方向性

 インターネットを含む情報媒体、伝達路、あるいは道具の発達によって、医学や健康に関する情報が自由に、いつでも入手できる時代になりました。様々なメディアで、健康や医療に関するコーナーは人気を伸ばしています。健康を取り上げた民間の地上波放送やNHK放送に対する患者や一般の人たちの視聴率は高いようです。高齢社会において、こうした番組や企画が次第に人気が出てくるのも当然の現象だと思います。

しかし、そうした現象の反響として、患者の医療関係者に対する欲求も多様化し、増加してきます。ですから、多様化した要求に応えるべく、医師が患者に対して行う「教育」についても様々な方法論が模索されるべき時代になりました。つまり、医師も教育の手段となる「多様化した道具」を持っておかなくてはならないのです。特に、慢性疾患の指導では、患者が治療のモチベーションを持ち続ける情報伝達手段を医師は自分の仕事の一部として持っておくことは重要です。患者が治療に不安を抱き、中断したくなったとき、治療の厳しさに耐えかねて放棄したくなったとき、現在の治療に疑問を抱き新しい治療を試みたくなった時などには、新しい治療の指針となる正しい情報を、いつでも患者に与えられる手段を担当医が持っていることは、今後の医師のあり方として必要な条件だと思います。

 これまで患者教育の媒体としては、映画やビデオ、CD-ROM、書籍や雑誌、パンフレットなど、多くのものがありdました。しかし、それらの情報伝達路は、いずれも「一方向性」でした。筆者は東京都済生会中央病院の松岡建平先生のもとで糖尿病患者に対する医学教育ビデオや映画、書籍などを作製する仕事を、約9年間行ってきました。書籍だけでも約200万冊を出版してきました。しかし、当時は、情報はほとんどが医師から患者への一方向性の伝達スタイルだけでした。患者から医師へフィードバックしてもらえる状況は少なかったのです。教育入院というシステムで2週間入院してもらった患者に対し、学習をしながら、意見を聞くことはできましたが、それも長い治療期間の「一時の時間を患者と共有する」だけでした。

インターネットは弱者を助ける道具

 ところが、インターネットが普及すると、情報の伝達路は基本的に「双方向性」になります。自宅にいる患者がホームページや電子メールという道具を利用し、グローバル社会に対し情報発信することが可能になるからです。

このことは従来、社会的に「弱者」であった多くの患者が、社会的に「強者」であった多くの健康人や医療機関、あるいは中央官庁、医師や薬剤師、看護婦などに対して、強い発言力を持つことを意味します。また、従来、自宅から外出することができなかった患者が、自由に外の世界の人たちとリアルタイムで情報交換することが可能になります。それによって、行動パターンや人生における価値観が変わる機会が増えてきます。

 例えば、車いすで生活している患者は、インターネットを利用して同じ環境にある遠くの人たちと、いつでも連絡を取り合うことができます。それまで孤独だった人がインターネットにより世界を広げ、仕事や生きることへの張り合いを得ている場合もあります。孤独であるために、家族に八つ当たりしていた患者が、インターネットを通じ仲間を見つけ、孤独感が癒されることによって、家族に対する思いやりが深まることも増えてくるでしょう。病気を苦にして自殺する患者も減ることでしょう。

 また手足が不自由な患者でも、最近は音声入力というパソコン操作の方法があるので、インタネットを駆使することができます。「ボーンコレクター」という映画がありましたが、そこでは、デンゼル・ワシントン主演の元天才警察官が、手足の自由をなくしても音声入力だけで事件の捜査をしていく、という話でした。インターネットが構築する、次世代のネットワークが身近なものになっていけば、患者にとって孤独感の解消や、身の回りの世話だけではなく、会社での日常業務や「高次元の仕事」が可能になっていくことが予想されます。

 また、介護という観点から考えれば、電子カメラを操作し、外出先から自宅の様子を静止画で観察することくらいはすぐにでも可能になる事でしょう。高齢社会が進むと、子供が病床で苦しむ親の介護のために、このようなインターネット機能を利用することは、普通のことになってくるかもしれません。あるいは、近未来ではネットワークを利用したロボットが出現し、インターネット技術を経由してロボットを操作し、遠隔地の人同士を結び付けることが可能になるでしょう。つまり、ロボットを介在させることで、患者が不在だった環境を患者が仮想的に存在する人間的なネットワーク環境に置換させることが可能になるかもしれません。例えば、患者が動物型あるいは小型人間ロボットを病院から操作し、家庭において患者の代役として存在させ、家族の一員として活動させるわけです。

情報共有の拡大によって起こる変化

双方向性の情報伝達媒体であるという特徴を持つインターネットは医師が患者に情報を与えるだけでなく、医師が患者から情報を引き出す媒体でもあるということです。患者の悩みを聞きながら、それをその後の患者教育に生かしていくことが可能になるわけです。

また、複数の患者同士は発信側にもなるので情報の共有化によって、良い治療を広めることを支援できます。情報交換の過程で悪い治療は淘汰されます。また、そのことが引き金になって、治療法などに革命が起きることもあります。

 一人の患者が生活の中で、ある経験をし、それを克服した体験や知恵をインターネットという場で多くの人たちと共有する事ができます。つまり、患者は他人の体験や知恵を自分の知恵として生かし、新たに体験をしてみる事ができます。

例えば、車椅子に乗っている患者が階段を上る時に苦労した体験談をネットで相談すると、同じ体験を持つ患者が、自分が初めて階段を登った時の体験を語り告げ、新たな知恵を伝達してあげる事ができます。血糖測定では指から採血しないほうが痛くないという単純な事実でもその常識を医療側が長年受け入れられなかった事が、インターネットでの口コミによって患者側の常識となりそれが医療機器会社を動かし、業界の常識を変えてしまうこともあると、本誌の2001年1月18日号「プラスαのインターネット活用術」(47)で示しました。

患者における「eデモクラシー」

例えば、病床に伏している患者が、新しい治療を受ける権利があるかどうかを世間に問う事ができます。骨髄移植を受けられない患者が、行政側に受ける権利を主張したりすることもあるそうです。血糖自己測定を行っている患者が測定機器の貸し出しや購入について病院間での運営方針の違いを、行政側や複数の企業に公開質問状を出し問いただすこともあります。このように、患者が互いに情報を交換し、治療や受ける人間としての権限の確保や、権利の主張のためにインターネットを利用する事があるのです。

なお、インターネットを通じて公共的な意思決定に参加できるような仕組みは「eデモクラシー」と呼ばれます。米国では6年前から、ホームページでこの実験が始まっています。(ただし無名の個人から発信される情報の品質管理ができないために、実験の域を超えていないようです。)また、患者が自分のホームページを作る例が増えてきています。電子メールだけでなく、自分のホームページを持つことによって、単なる文字情報としての公表だけでなく、音声や動画などを駆使した形で社会に自分の意見を公表できます。自分の体調を動画や音声を駆使して公開することも可能です。ですから、社会との交流の窓口を多次元の情報媒体を駆使した形の場として設置をすることで、患者たちは多くの人たちと、さらに深く交流できる実感が持てるようになります。

 また、患者は、自分の闘病体験をホームページ上でつづり、多くの人に公開する場合があります。この行為によってホームページ運営者である患者は自分の病気を客観視できるようになります。また、ホームページを読む側である医療消費者(患者や健康人)もホームページ運営者に声援を送ることで、ともに勇気が湧いてくることもあるでしょう。そこに医師がアドバイスを与えれば、医療支援になるでしょう。もしこれが本格的な医療行為とみなされる時代になれば、「遠隔医療」という概念につながり、多くの患者の窮地を助ける技術となるでしょう。

 このように、インターネットが日本の社会のインフラとして、本格的に普及する時代になってきたことによって、医療の現場は大きく変わっていくに違いありません。医療側、出版社側、あるいは製薬企業側からの情報発信だけでなく、特にこれからは患者からの情報発信を契機にして、医療の世界が変わることもありうるわけです。本連載ではこのようにインターネットが社会に広まることによって考えておかなくてはいけないような問題を、一医師の立場から解説していきたいと思います。

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